
人間が真に欲を捨てるということは、意気地なしになるどころか、それこそ真に自己が確立することであります。否、さらにそれによって、天下幾数十万の人々の心の中までも伺い知ろうという、大欲に転ずることであります。
ですから人間は、自ら積極的に欲を捨てるということは、意気地なしになるどころか、わが一身の欲を打ち超えて、天下を相手とする大欲に転ずることとも言えるのです。しかるに世間多くの人々は、欲を捨てるということを、単に言葉だけで考えているために、捨欲の背後に大欲の出現しつつあることに気付かないのです。そしてこのような背後の大欲が見えないために、欲を捨てるとは、意気地なしになることくらいにしか考えられないのです。
欲を捨てるということは、単に自分だけの自己満足でいい気になっている程度のお目出度さを蹴破って、自分の欲をこらえ我慢することによって、多くの人々の悩みを思いやることであり、さらにはこれを救わずにはおかぬという絶大な大欲に転じて、そこに一大勇猛心を奮い起こすことであります。
森 信三(修身教授録 竹井出版)
この言葉は尊敬する森信三先生の言葉。私自身20代半ば頃、色々な読書を重ねるなかで、中途半端な理解を元に、人は欲を捨てて優しければそれだけでいい、人と競争することもなく誰もが平等であればあるほどいい、皆で手をつないで渡れば怖くないなど、欲を捨てるということを勘違いして、意気地なし人間になったことがありました。
けれど欲を捨て悟ったつもりになった、単なる優しい意気地なし人間だけでは、どこに行っても、どんな仕事をしても通用しませんでした。悔し涙を流す出来事に数多く出会うことで、人間は優しいだけではダメだということを思い知らされた時期でした。
このことがキッカケで、本当の優しさとは、その人の芯に確たる強さ、確たる自己の確立があってこそ、本当の優しさというものが際立つのだと感じるようにもなりました。その時期から、弱くて怖がりな自分だけど、意気地なし人間から脱却して、強さの中から出てくる真の優しさを持った人間になりたいと思い、前向きな行動をするようになりました。
以降、幾度も意気地なしになりかけながらも、森先生、安岡先生の本を読み直しては気を持ち直し、頑張るぞという気持ちになって、自分の気持ちを奮い立たせてきました。
森先生、安岡先生の本に出会ってなかったら、私は単なる優しさだけの意気地なし人間で一生を終えたことでしょう。そう思うと、この素晴らしい出会いにはいつも心から感謝せずにはいられません。先生たちは故人となってる訳ですが、本を持つと、いつもその偉大なる息吹を感じ取ることができます...まるで、私に話しかけてくれてるように...。
私の目下の課題は、自分と関わりあう周囲の人々(自分の子供たちも含めた)に、いかにして意気地なし人間にならないように、その大切さを感じてもらえるかということです。最近の世相を見てると、意気地なし人間が激増してるように感じてなりませんから...。
私にはたまたまヨガという表現ツールがあるので、これからもまずは自分を修め、その姿を多くの人に見てもらい、そこから感じてもらうことこそが一番大切であると考えてます。こんなに弱くて泣き虫で、運動音痴で、欲を捨て悟ったつもりになっていた、まさに意気地なし人間の代表のようだった私でも脱却できるのだから、他の人々にできない訳がないと思うのです。
意気地なし人間から脱却して魂をイキイキと輝かせる...この大切なことを、ヨガを通じて多くの人々に伝えていきたいと思い、日々自身と悪戦苦闘する毎日ではあります(^^♪
全深謝、合掌

