
「古教照心・心照古教」
本日の先哲 Going Deepe クラスでは、この大好きな言葉を仲間の皆さんにお話ししました。
私は日常生活においても、ヨガを指導している時も、ヨガの自主トレをしている時も、この言葉を絶対に心から外すことはありません。
この言葉から離れてしまうと、学びは浅くなります。特にヨガのような5,000年の伝統を誇る本物中の本物と呼ばれるようなものを身体に修める場合は、古教照心だけではなく、心照古教という境地に自分の心が入らないといけません。この境地に心が到達してこそ、ヨガは我々にとって、究極で最高の学びとなります。
また、この心持ちでいられるなら、どんなことを学ぶ上でも、その学びは最上級となります。仕事に適用するなら、最高の成果を上げることができるし、人生に適用するなら、素晴らしい人生が展開していくということです。
言葉の意味はそんなに難しくありません。
言葉通りに訳すると、古教照心(こきょうしょうしん)・・・古い教えが我々の心を照らし出す・・・ヨガであれば、ヨガという古い教えが我々の心を照らし出してくれる、だからこそ我々はヨガを終えると、その恩恵をたくさんいただいて気持ちよくなれる。この境地でも健康は十分に保つことができるし、普通に生きるには何ら不自由はありません。
しかし偉大なる先人は、さらに学びを深めようとするならば、もう1つ先の境地に入らねばならないと教えてくれます。
その境地が、心照古教(しんしょうこきょう)、自分の心が古い教えを照らし出す。ヨガであれば、自分の生命を尽くし真摯にヨガに取り組めば、やがては心がヨガという偉大なる教えを大きく照らし出すようになっていく、それこそが本当の学びであるということです。照らされるばかりではなくて、自分から照らし出しなさいということです。
この境地に至ってこそ、その学びは、絶対的かつ最高レベルであり、ヨガと東洋哲学の持つ、あらゆる世界に絶対的に通ずる普遍の原理原則を、自ずと身体に修めていけるのです。
そして、その最高の心持ちを継続できるならば、やがてそれは確固たる自己の確立へとつながり、真実の世界で大きく羽ばたき、人生を最高にエンジョイすることができるのです。
東洋の偉人たちの教えは本当にスゴイッ!と、私は昔この言葉を目にした時に感動しました。特にヨガの世界に身をおくようになってからは、この言葉がつくづく身に沁みます。
ヨガをしていると、東洋哲学の偉人たちの佳書を読んでいると、上には上がいる...どうして私はこんなに足りない事だらけなんだろう...何年やってもこんなことを感じます。
だからこそ、その上にいる偉大なる先人たちの足元ぐらいまでは近づきたい...素晴らしく追求のしがいがある東洋哲学とヨガの世界ではあります。
全深謝、合掌
Namaste,
NoBU











